2010.7.2
南アフリカでサッカーのワールドカップが行われている。日本代表はグループリーグを突破し決勝トーナメントに進出したが、1回戦で惜しくもパラグアイに敗れ、昨日帰国した。
大会前の低い評価を覆して、日本国中を歓喜の渦に巻き込んだ戦いぶりは、一体どこから生まれてきたのであろうか。パラグアイに敗れてから、昨日の帰国会見までの中で幾つかの記憶に残る言葉を拾ってみた。まず、岡田監督の「サッカーはチームスポーツであるということを証明できた」というフレーズ、ゲームキャプテン長谷部選手の「このチームでもっと試合をしたかった」というフレーズ、その他いろいろな選手から出てきた「一体感」という言葉。
岡田監督の言葉も、長谷部選手のフレーズの中にも一体感という意味が込められている気がする。
チームとして機能するためには、チームとして目標を持ち、その目標を共有することでチームとして機能を始める。サッカーの場合、全てのチームが勝つこと、優勝することを目標に持っていることは当然だが、本当の意味でそれが共有化されているかというと疑問が残る。
ワールドカップに出場するチームは、当然、サッカーのプロだし、優れた能力を持った個人の集まりであるが、個々の選手にチームの目標が共有されているチームとそうでないチームが存在しているのが事実であろう。現に、イングランド、イタリア、フランス等はまさに後者のような状況の中で戦い、グループリーグで敗退をしていったということになる。
チームとしての一体感は、メンバーがホンネで話をして、お互いの考え方や能力の違いを認め、尊重することを通じて生まれてくる。所謂、嵐のような議論を経てコンセンサスを得ることが必要となる。日本代表の場合、大会前の練習試合4連敗の中で、喧々諤々の議論がホンネベースで行われたという。上辺だけの目標だと、どうしても本番では個人が前面で出てしまいチームとしての機能を発揮するまでには至らないが、日本代表にはホンネベースで目標を共有し、その目標を達成するためにはどうすればよいのかという点でコンセンサスが持たれたということになる。
任期途中で体調の問題もあり交代したオシム前監督が言っていた「連動性」も、この一体感がなければ実現することはなく、「カバーリング」も他者の能力を尊重した上で実現できる代物であろう。
そういう意味から、今回の日本代表の戦いぶりには、組織を動かし、成果を出していくための要因が沢山、隠されている気がしてならない。