今日の日経新聞、新卒ニートの記事が1面に掲載されていた。
記事では.....大学を今春卒業した約56万人のうち6%にあたる約3万3千人が、進学も就職の準備もしていないことが27日、文部科学省の調査で分かった。大半が「ニート」とみられ、学校から職場へのスムーズな移行が難しいという若年層の課題が浮き彫りになった。ニートへの対応が遅れれば質と量の両面で日本の労働力の劣化を招き、生活保護受給者の増大なども懸念される。抜本的な対策が急務だ....だそうだ。
この記事内容から考えると、どうも進学も就職もしていない学生が悪いように書かれている気がしてならない。勿論、本人にも原因はあるのだが、受け入れを拒否した社会構造にも問題はある筈だ。
まずは、企業を取り巻く構造上の問題。
高度成長時代には必要であった「人材」が、国内では必要ではなくなってきたことにある。それは所謂、製造業の海外移転、アウトソーシングが当然になってきたためでもある。製造業は多くの人材を人手として必要したが、一旦、海外に出てしまえば、「人材」を現地で調達することは容易いことがわかってしまった。「人材」は代替が可能となったということだ。このアウトソーシングは製造業にとどまらず、サービス業、特に、事務系のサービス業に関しても、単純労働は海外を含めてアウトソーシングが可能となってきている。
この問題は、「人手」が原因で海外に移転した工場を単純に国内に戻せばという問題ではない。企業にとって、「コスト」の問題に関わってくるため簡単にはいかないのである。
勿論、学生側に「意識」の問題は残る。
まだ、大企業指向が強いのではないだろうか。昨今、ようやく、中小企業に目を向け始めてきたが、どうしても就職活動の初期の段階では大企業を中心に就職を考えがちである。その初期の段階で、大企業への就職の困難さに気付いて、中小企業へと就職意識の切り替えができる学生はまだいい。そういう学生は、中小企業に就職を決めていくであろうが、その切り替えが上手くできない学生が多いのではないだろうか。大企業への希望を捨てきれず何社も受験し続ける学生、就職留年をしてどうしても大企業を志望する学生、大企業への就職活動を通じて人格まで否定されたように感じ就職活動から脱落していく学生、等々の乖離を生じさせるような要因が存在している。
更に考えなければいけない問題がある。
20年前と比較して、大学卒業者が増えていることが挙げられる。20年前であれば、高等学校が最終の教育機関であったものが、それが大学に移り今や大学全入時代に突入している。大学に行かない人の方が珍しい位である。実態としてレベル高い大学に在籍している学生もいれば、そうでもないレベルの大学に在籍している学生もおり、そういう学生を含めての就職統計である。数値のギャップの詳細分析がないため確実はことは言えないが、就職が決定しない学生の中に、レベルが低い学生がかなりの割合で含まれているのはないだろうか。その結果の就職率であれば、一考の余地がある。
教育がビジネスになり、それが大学の増加、学生数の増加に繋がった訳だが、そこに現在の就職率の問題がないとは言えないのである。