Column コラム
2012-3-7

昨日、初めて、傘の修理屋に行ってきました。

昨日の豪雨の中、会社の行き帰りに使っていた折りたたみ傘の骨が折れてしまったのです。
少し壁にぶつかっただけなのに広げて見ると、もろくも骨がボキッと折れています。
ビニール傘であれば、そのままゴミ箱行きとなりますが、傘にしては高価で、結構長く使い、気に入っていたこともあり、修理ができないものかと考えました。

こういう時のインターネットはとても便利です。
傘を修理してくれるお店を探すことは、従来の方法では皆無に等しく、分厚い電話帳をめくっても詳細はわからず、目ぼしい電話番号に電話しても扱っていないということで、断られるのがオチだと思っていました。

「傘 修理」で検索すると出てきました。と言っても、ヒットした件数は非常に少ないです。
全国的に検索したにもかかわらず、これだけとは...やはり傘を修理してもらえるお店というのは、どんどん少なくなっていくのでしょう。(これだけビニール傘が全盛であれば、傘は"使い捨て"という感覚になっているのでしょう。時代の流れだと思いますが仕方ありません。)

ヒットした中で、HPを覗いてみると、どうも自分のお店で購入した傘じゃないと修理しない、というセコイお店がありますが、適当なお店がありません。(このセコさが「傘は修理して使う」という文化を廃れさせているのだと納得しました)

そして、何件かのお店を閲覧する中で出てきました。
それが、京王線 幡ヶ谷駅の近くにある「仲屋商店」です。

仲屋傘店_photo.jpg
甲州街道から路地に入った裏手にある昔ながらのお店です。
なかなか、いい雰囲気です。新品の傘を販売している横に並んで、「修理はココ」とガラス扉に張っています。中では、もう齢80歳前後であろう男性の職人、恐らく、隣接する傘屋の先代の主人ではないでししょうか。頑固一徹という印象です。

修理してほしい傘を差し出したところ、その職人の方は、すぐに開いて修理箇所を確認、こちらに向い、「その紙に住所・氏名・連絡先を書いて」とボソッと言いました。
修理できるのかわからないまま、渡された紙に住所・氏名・連絡先を書きつつ、「修理できるんですか?」と確認したところ、「大丈夫」の一言。「出来上がりは明日」と続けて回答をいただく。無愛想で職人らしい対応と修理のあまりの早さにまたまたオドロキです。

これで、無事、傘も復活しそうです。
傘の骨が折れなかったら、気づかなかった傘修理という仕事を通じて、モノを修理して使うという意味と職人技のありがたさに気付かされた気がしました。